英語って今からの時代どうなんだろう

何度かこのブログでも書いたのだが、私は英検1級を持っている。自慢に取られるのは本意ではないが、実際に取った人からの言葉でなければ説得力に欠けるところがあるのでご容赦いただきたい。、

実際にこれから英語を勉強しようと思っている人、最近では本当に英語を努力して身につけるべきかどうか、迷っている人もいるのではないだろうか?

だって、Googleの翻訳とかとてつもなく精度が上がっているし、これからも完成度は高くなっていくのは間違いない。また、ポケトークとか、同時翻訳ツールももう実際に商品化されている。

翻訳ツールに関しては、世の中の需要があまりにも大きいので開発が止まることはない。同時通訳をほとんど問題なくこなすような、ある意味完成品が出るのは時間の問題だと思っている。これに関してはほとんど断言できる、熱意を持った優秀な人が開発を続けているし、もうそうなるのだろうと思う。

では英語を学ぶことの必要性がなくなるのか?確かに必要性は少なくなるだろうが、ゼロはならないだろうと思う。現時点で英語を必要とされるような人は、これからも英語が必要と思っている。

新技術が出て既存のものが完全になくなるかと言えば、そうでないものも多い。例えば通信技術、古くは電報から始まり、今ではリアルタイムにお互いの顔を見ながら話をすることもできる。

では、現代においても依然として営業がお客さんのところに出向いて直接話をするのはなぜか?これに関しては、礼儀とか日本的な美徳の観点からではないと言われている。他の国々においても状況は変わらない。実際に商品を目の前にしながら説明できるから、という理由もあまり大きくない。

それはなぜか?その方が商談が成立する可能性が高いからだそうだ。仮想とリアルは違うのである。人である以上、生身の人間に直接会う以上に、信頼や安心感を得られる方法はない。全ての人との繋がりが仮想で行われるようなことにでもならない限りは、その潜在意識は変わらない。

英語に関して言えば、当然ネイティブ同士では生身の人間同士で会話は行われるだろうし、潜在的にはそれを求めるはずと思う。ツールの開発が進んでいるとは言え、10年後にそれが完成しているとは流石に思えない。また、完成というのはそれほど簡単なものではない。ただ、20年先であればわからない。

よって今+ちょっと未来というところに焦点を置けば技術的にも英語は必要、その更に未来においても必要性はゼロにはならないと思っている。

ただし翻訳は厳しくなってくるかもしれない。今の時点ですでに機械翻訳させたものを人の手で直すという作業に移行しつつある。人の手が出来るだけかからないように省略化されていくかもしれない。

言語の多様性って、良い面ももちろんあるのだろうが、障害があまりにも大きい。誰かが100年前に英語とかに完全に統一していればこの問題は今頃ほとんどなくなっていたのに、、と思ったり思わなかったり。

ただ、不便なところにはチャンスもあり、そこには需要がある。また、必要がないという人が増えるのもある意味チャンスだと思う、供給が減るから。需要は瞬間に消えることはない。英語を身につけていさえすれば(今のところ)海外との取引などに重宝される一つの条件を満たしているとも言えるのだ。

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