人間関係について考えるアラサー独身

昨日の記事はあまりに救いがない気がしたので、本日はもう少し暖かみのある事も書きたいと思う。私だってネガティブなことだけではなく、たまにはいいことも書きたい、、ただのネガティーブログと化したくない、、、

と言うことで、ではいってみよーう⤴︎

仕事をやっていると、もう本当にとっても忙しい。あらゆるところから不定期に依頼が発生し、もはやオブストラクションに近い。とにかく個々のタスクの納期を遅延しないよう、ジャグリングをしているような気分になる。

自分の仕事は終わらないどころか、着手すら叶わないことも多い。残念ながら土日含め気合でどうにかするしかないこともある。

仕事に小慣れたアラサー世代にかかる負担は大きい。残業をできるだけしたくない場合、本当に高速な処理が求められる。メールは5秒で読むべきか、返信すべきか見極め、答えを持ち合わせていなくともとにかく即返信する。そうしないとタスクに埋れて確実に忘れてしまう。みんなとにかくcc入れすぎだとグチる。

電話には正直構っていられないことも多い。プライオリティ関係なく現在進行形でゴリゴリ時間を削られる。5分後に会議が始まるとうそぶき、時間を区切ることすらある。

0.1%でしか発生しないような間違いを防ぐために、全てをチェックすることはしない、というか出来ない。

そのような状況では、とにかく人に手伝ってもらいたい。他の人も同様の状態である可能性は高いが、協力しあえば人数分以上の効率になる作業も多い。またこれに関しては後でわかったことだが、人間関係など含めればそれ以上にいいことも沢山ある。

特に年の近い後輩には自分の理解者であり、協力者であって欲しい。そうなればどんなに楽か。ただし、彼らの仕事も少なくはないのでそのハードルは中々に高い。

とは言えどうにかしたい、でもどうしたら良いか、私の作戦はこうである。

人の相談、特に後輩からの相談は必ず親身になって聞くこと。忙しければ忙しいほどそうすること、何なら万難を排してでもそうすること。

あまりにどこにも書いているような、ありきたりなことを書いて申し訳ない気持ちもあるが、人間はそんなに変わらない。作戦というよりも社会人としての心構えとでも言った方が良い気もするが、何はともあれこれは有効なはずだ。

私には自分よりいくつか歳下の、女性の後輩がいる。当時の私はその子を指導する立場にあったが、最初は図らずして冷たい先輩になってしまっていたと思う。

例えば、何か技術的な質問を受けた時、一日の長がある私であれば、どこを調べれば良いか大抵検討がつく。だから代わりにそれを調べ、「これを読んで考えて」と資料を渡す。社内サーバーに散りばめられている資料の探し方を教え「次からは自分でも少し探すように」とも付け加える。

それ以上構っていられる時間がないと思っていた、それが一番時間がかからない方法だった。必要な情報にアクセスする術を含め、とにかく独り立ちさせることが私の大きな役目だと思っていた。

それでも、私に聞けばある程度の答えにたどり着くという信頼が生まれ、私との関係が築かれる。彼女に何かを指示すればその通りやってくれるようになったし、それで充分だとも思っていた。

ただ、彼女は指示をした以上のことには関心はなさそうだった。恐らく、時間が空いていても進んで何かをやってくれる気配はない。自分の配分だけをこなせば良いと考えていたと思う。

ややビジネスライクではあるものの、その考え方に共感するところは多いし否定はしない。ただ、もうちょっと進んで何かして欲しいのは本音であった。

その場合、自発性を直接的に求めるのは間違った方法だと確信している。どのような正論であれ、私はそれは好まない。昔からそう思っている、自分だったら間違いなくやる気をなくす。

また、指示をしていない方が悪いのは正論だ。

「やる気を出せ」はやる気をなくさせる魔法の言葉である。それに近いことも決して言ってはいけない。

やれと指示をするのはある程度は簡単だ。漏れがないよう、全てにおいて指示を細かく出すことも、よく考えれば恐らく可能だろう。正当な指示に従わないのは常識的には不可能なので、彼女もきっとその通りに動いてくれるだろうとも思う。

ただそれで本当に良いのか。例えば、自発的に、例え指示がなかったとしても、この人のためになら何かをやってあげたいと思われる人間になれたら、その方がよっぽど素晴らしい。理想論のような気もするが、それでも私はそう考えてみることにした。

ではどうしたか、前述の通りよく相談に乗ることだ。後輩が何か質問をしてきたとして、何がわからないのか、どう考えているのか相手のことを理解するようにした。

私がこのような考えを持つに至った、とても良い言葉に出会ったので紹介させていただきたい。

治そうとするな、わかろうとせよ。

カウンセラーなどには有名な考え方らしい。ただ、当時の私にとっては正直目から鱗が落ちるような言葉だった。本当に心からその通りだと思った。特に理系男子は考え方を改める必要がある。

相手を分からなければならないのだ、お互いに理解しなければならないのだ。それもなしに、明文化されていないコミュニケーションを成立させるなんて出来るわけがない。

繰り返すが、これはどんなに忙しい時でも最大のプライオリティで考えるべきだ。相手のことを理解しようとすることが本当のコミュニケーションなのだ。

やや後ろめたいものの、正直これは見返りを求めての行動であったと思う。とは言えこれは功を奏した。1年以上はその考えでもって後輩に接するようにしていたが、今では遥かに私のために進んで協力をしてくれるようになったと思っている。ざっくばらんに話せる人間関係を維持し続けることができているようにも思う。少なくとも私は。

ちなみに当然だが、見返りを求めているような態度は微塵も出すべきではないことは言うまでもない。何とか分かってあげようとする姿勢だけで十分だ。出来るだけ好きにさせ、居心地が良いようにしてあげるだけだ。

お互いが仕事に対し、どのような意識で取り組んでいるかもわかっているつもりだ。ただここで注意したいのは、どのような考え方であれ、相手の考えは容易に変わることはない。そう考えれば、お互いの考えを尊重しこそすれ、変えようとするのは間違ったアプローチだ。

流されるままに仕事をしているとの指摘もあろうが、それは否定しない。ただ一つだけ言いたいのは、私は配られたカードで勝負しようとしているだけなのだ。

カードは変わらない。変えようとするのは錬金術に挑戦するのに等しい。どのような自己啓発のセミナーに参加しても性格は変わらない。あるべき状態、理想的な状態は誰かが決められるものではない。ただ、相手の考えを理解することは可能であるし、それだけでも非常に大きな助けになる。

ただ、最後に言いたいこととして、人に手伝ってもらいたいのであれば、やはり自分もそうするべきだし、相手のためにも動くべきである。これはもっと根本的で大きな前提である。

自ら協力しあった方が良い組織になるし、何より仕事のストレスが少なくなる。人間関係にコミットすることは大切な考え方ですよね?

人間関係について考えるアラサー独身” に対して1件のコメントがあります。

  1. ピンバック: 時間は有限

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