上司に言われると嫌な言葉ベスト3

仕事を始めると改めて実感するのだが、やはり人間は感情で動く生き物だ。何歳になっても言葉によってやる気が出ることもあるし、逆もまた然りである。

言葉によって相手をやる気にさせるのは、相手にとってお得な話でない限りは至難の技である。ただしやる気を無くさせるのは非常に簡単。もしあなたが部下を持つ立場の方であれば、相手を奮起させようとするよりも、やる気を失わせてしまわないように配慮する方がよっぽど現実的である。

自己啓発の本やセミナーにあなたがいくら感化されたとて、それは相手には伝わらない。自分でそのような場に出向いたり本を読んだりする人とではベースからして違うことを理解しなければならない。

これは大切なことなので2回言いたい。ベースが違うことを理解するのが大切だ。

相手がどれ程仕事に対して人生をかけているのか、そして仕事をすることでどれだけ会社から対価を得ているのか。社員は社員であり、労力と時間を給料に交換しているのであって、それ以上ではない。

会社を成立させるためという理由は理解できるが、常に全力のやる気を相手に求めるような職場は息が詰まってしまう。

さて、言われて嫌な言葉のある程度の方向性を示したつもりである。

それは、ポジティブな言葉の悪用とでも言うべきであろうか?

大変な仕事を、ただ断れないようにする口実として使われるポジティブな言葉が大嫌いだ。早速発表していきたい。

ジャジャン⤴︎⤴︎

3位 「楽しめ」

これは本当に余計なお世話である。どうやって楽しくないものを、それもやらざるを得ないからやっているだけのことを、どうやって楽しめば良いのか?

確かにやらなければならないことは一緒なのだから、それならせめて楽しくやろうというスタンスは間違っていないと思う。ただし人にこの言葉を使うのは話が別である。

楽しくなんてないよ!!!!

やらなければならないからやっているんだよ!!!

それを言う時点で楽しくないことだと宣言しているようなものですよ!!!

と声を荒げて言いたい。7年程働いていてわかったが、仕事を心から楽しむのは私にとっては難しい。その言葉を相手に使わせるような人に対し、「楽しめ」と言っても無駄であろうことは想像に難くない。

いくら上司の命令といえど、そこまで感情をコントロールする術を知らない。楽しんでいるふりをするのは辛いものがあり、さらに楽しく無くなる可能性が高い。

仕事を楽しんでやってくれればそれほど都合が良いものはないのだが、、、そうなって欲しいと言う願望は凄く良くわかるのだが、、、、でもやっぱり自分の気持ちに嘘はつけない。

2位 成長

確かに成長するのは必要なことであることは認めなければならない。新人からずーーーっと同じクオリティの仕事をするようではいけない。

専門的な知識が求められる職業の人は勉強もしなければならないだろう。

それは本来の意味での、正しい意味での成長だ。それは重要なことであり、本来の意味での成長という言葉が嫌いなのではない。

ではなぜこの言葉を2位に選んだか。この言葉は主に、都合よく仕事を押し付ける場面で頻繁に使われがちだからである。気難しいお客さんのところに担当を任されたり、炎上案件に関わらされたり。

それが誰かがやらなければならない仕事なのは認める。ただし「成長のためだ」とか、なんだか君のためを思って言っているんだみたいな言い方はやめていただきたい。それを言われたからといって「なんていい人だ」と思うことはない。

全体的に押し付けがましい言葉に成り下がってしまいやすい。自分のためにやっている感を出させようとするのはやめてほしい。

また、当然人にやらされていることが自分の望む成長とは限らない。

もちろん自分の都合を最優先させることなんてできないのは承知しているが、そうならそうで淡々とやらされた方がよほどましである。

少々話は変わるが、筋トレをする人は農作業や土方作業を喜んでやることはない。筋肉はつくかもしれないが、器具を使って最大の効率で行うことを望んでいるのだ。

同じように、仕事をやるよりも自発的に勉強をした方がよほど人は成長すると思う。どんなに残業したところで人はそれほど成長しない。

あなたのためだからと言って、言葉通りに受け取られることはないということをご理解いただきたい。

 

1位 チャレンジ

自分でその言葉を使って、自らを奮い立たせるのは良い。新しいことに積極的にならなければ、何事も成し遂げられない。2位の言葉に続き、この言葉が本来の意味で正しく運用されるのであれば、非常に良い言葉である。

非常にポジティブな言葉だ。「チャレンジしよう」と言われたとして、「チャレンジしたくないです」とはなかなかいえない。相手が上司であればなおのこと。

だからこそ悪用されるのだ。

これは、仕事でキャパオーバーになっている社員にさらに仕事を与え、チャレンジと言って無理をさせ酷使させるための言葉になってしまっている。

需要がない商品を、営業に無理やり売らせようとする時にも同じく使用される。

「売れませんじゃない、売るんだよ!」

これはただの精神論だ。自分達の都合だけで世の中の需要供給を成り立たせることは難しいだろう。

「できませんじゃない、やるんだよ!」

現場を酷使させる言葉だ。新技術を開発する時にこの言葉を使用するのは良いかもしれない。でもそうじゃないのだ、めちゃくちゃな納期で現場を酷使する言葉になってしまっているのだ。適切な労働時間に配慮することもなく、気合いと体力で乗り切らせるための言葉になっているのだ。

ニュース等でも問題になっているが、昨今は名だたる大企業でもこんな感じだから世も末だ。どこも余裕がなくなっているのかもしれない。

いかがだったであろうか。良い言葉であるから、否定をするのが難しいから、だからタチが悪い。社員を酷使するための言葉に成り下がってしまっていないだろうか?負け戦に無理やり飛び込ませるような常套句となってしまってはいないであろうか?

断る権利を奪う言葉になってしまってはいないだろうか。そもそも正当な仕事であればこのような言葉を使う必要はない。

ポジティブハラスメントと呼ばせていただきたい。組織が上手く行っていなければ、それに逆比例して増えるハラスメントである。転職を考えるべきだ。

こういう言葉を使ってやらされる仕事は地雷と言って過言ではない。

やりたくないがやらないとは行っていない。私もサラリーマンだ。

だけどせめて、望んでもいないのに、自分の成長のために自発的にやっているような体裁にしないでほしい。

大変なことを頼んで、無理をさせて申し訳がないと、せめて正直に言ってほしい。

自ら望んでチャレンジをしている形を無理に作らないでほしい。

これらの言葉が正しく使われるようになることを願ってやまない。

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