サボるほど時給が高くなる理論
私の職場は個人の裁量で結構自由に仕事ができる。事前に予定を組まれたり、または毎日決まった仕事などもないので、自分で仕事を取るか、お客さんから直接受ける形になる。上から降ってくる仕事もあるが割合がそれほど高くないから、上司ですら誰がどのような仕事をしているか把握していない。
また、上司もプレイングマネージャーだから、管理以外の仕事をしていることも多い。
出張や外出が非常に多く、常に部の半数くらいは社内にいない。だから誰がどこにいるかあまり認識もしていないしされてもいない。なんの仕事をしているかお互いにわかっていない。
個人プレーだから、自分の仕事をどこまでやるかは自分次第になる。面倒なお客さんは連絡を絶ち、なかったことにしても良いし、興味あるものには手厚くサポートをしても良い。
そして、個々人が行なっている仕事を誰も完全に把握していないため、どれだけ組織に貢献したかの評価なんて結構曖昧。必要なら買わざるを得ないような商品を多く取り扱っているので、売上だけでは差し測れないところがある。
ボーナスの査定も良く言えばおおらかだ。部の売上が良ければほぼ全員が最高評価を受け取るし、部の売上が良くなくても個々人に極端な差が出ない。お金の面で短期的に大きく変動することがない。
だから、仕事を引き受けたり頑張ったりするのは、個人の良心と責任感に依存することになる。当然みんなうまいことサボっているし、多少は暗黙の了解である。
これは昔かたぎの日系企業あるあるだと思っている。仕事は当然頑張るものという前提に立ったシステムである。サボる人だっているが、このシステムはそれなりに機能している。
そしてそれは、非常に仕事ができるスーパーマンの存在が大きい。仕事の道筋を作り出し、炎上案件を解決し、社外の評判を高めている、業界でも有名になりつつある人間たちだ。上司からもとりあえず任せておけば間違いないと思われている存在だ。
仕事が早いし正確なので、必然的に他の人よりも多くの仕事をこなすことになる。アラフォー世代で私も尊敬している人たちだ。
私の10倍くらい付加価値を創出しているような気がするが、ここは日系企業。彼らは私の2倍も給料をもらってはいないだろう。彼らの評価は思いっきりサチっている。
※サチる…理系が好んで使う言葉。サチュレーションする(飽和する)の意味。このケースでは、例えば評価の最高点数が100点だったとして、200点、300点以上の仕事をしたとしても、評価は最高点数の100点で飽和するという意味になる。
これは不合理な仕組みである。給料がある程度決まっているのであれば、労働負荷を下げても給料が減らない。だから適当にサボった方が時給が高くなる。
例えば外出していて、15時に会社に戻れる時間に用事が終わったとする。その時間に会社に戻ると何か仕事が降ってきそうだから、カフェとかに言って自分の仕事をするか、時間を調整して定時直前に会社に戻る。
もしくは会議が終わったくらいの頃を見計らって会社に戻る、会社に戻らず直帰する。その際、会社から電話がかかって来ても、仕事をしていないのがバレると厄介なのでしばらくは出ない。やっていることは結構なクソ野郎だ。
そうすれば定時近くにあまり仕事を抱えた状態にならなくて済む。自分の仕事を過剰に抱えていなければ仕事のコントロールが効くからストレスが大きくない。
2日酔いで調子が悪く、寝ていたとしても健康体の人と同じ給料が発生する。
スーパーマンになればなるほど、短期的な目で見ると給料が下がるのは気の毒でもあるが、だからこそ皆がその存在になることを望んでいない理由になっている。仕事を大量に任された挙句に給料もそんなに変わらないなんて冗談ではない、と。
その気持ちはよくわかる。周囲の期待を下回ると職場において居心地が悪くなってしまうが、期待を大きく上回ると過剰に依存されてしまう状態となる。だから、ハードルはそれなりにギリギリで飛び越える必要がある。
「ゴールは自分で出来るだけ高く設定し、出来るだけ頑張って走り続ける。だってそれは仕事だから。」という旧世代の思想と我々世代にできたギャップは埋まることはない。