仕事に苦悩するアラサー独身

仕事は嫌いではないものの、一番になりたいとか出世したいとかはほとんど思わない。

これは、アラサー世代のサラリーマンの相当数の人が心の中で思っていることではないかと思う。同世代で仕事が楽しくて仕方がないと言っている人をほとんど見かけたことがないし、それは会社の同期だけに限った話ではない。そして私もその内の1人だ。

こういうとただやる気がないだけだと思わるかもしれないが、朝早くおきて勉強したり、本を読んだりすることは普段から行っているし、何なら意識は高い方だと思っている。ただ、仕事中にもっと沢山の仕事をしたいと思ったり、追い込んで自分の限界を見てみたいと思うことは正直ない。

きっとこれからもそれはないような気がする。管理職とかにも正直なりたくない。

「何故偉くなりたくないのか議論」なるものが世の中の上司と部下の間で頻繁に行われているが、こちらにとってはスタートが逆である。私からすれば「なぜ偉くなりたいのか」である。

時間的な拘束や責任の大きさを鑑みると、偉くなる代償は非常に大きい。自分の人生の時間を多分に拘束されることは目に見えている。それを何故、皆が望むと思うのか?むしろ万難を排して避けたいと思っているほどである。「仕事は仕事、自分の人生は自分の人生」正直に言えば、それはそれというのが本音である。

この溝は深まりそうにない。本当に理由はわからないが、ただそれは上の世代からしても、逆もまた然りなのかもしれない。

これで終わると何の救いもないので、我々が何故仕事に限界を超えるような熱意をかけたくないのか考えてみる。原因がわかれば対策できることもある。

成果に対して給料が大きくは変わらない雇われの身だからだろうか?偉くなったとして、給料に大きな夢を見ることができないと理解しているからだろうか?残業にも上限があるため、働けば働くほど時給が下がる側面があるからだろうか?

答えは分からないが、恐らくそうかも知れない。確かに給料が上がればやる気は出るであろう。ただし、お金の問題が全てではないことは断言できる。

例えば、私事ではあるものの趣味のテニスに関して言えば何か大きな理由があるわけでもなしに上手になりたいと思うし、多少疲れているくらいで練習を休みたいと思ったことはない。どれだけ自分が向上できるのかを見てみたいとも思う。上達したとしても大きな得はないと理解しているのにも関わらず、好きでやっていることに対しては損得抜きにそう思える。

ちなみに、学生時代にもテニス部だったが、平気で練習をサボったりと、当時はそれほど好きでやっていなかったように思う。

この事実は、この問題を考えるに際して結構重要なのではないだろうか?ただの捻くれ者のような気がしてきたが、それは間違いない。でもそれは一旦置いておいて、、、

別例も考えてみると、私の大学院時代に行っていた研究に関しては、今の仕事よりも熱心に時間も労力もかけていたように思う。4ヶ月休みなしで稼働したこともあったし、それを特に辛いとは思わなかった。もちろん給料は出なかったが、それは大きな問題ではなかった。休みなんて厭わなかった。ただ、今は休日出勤は本当に勘弁してほしいと思うほどに、明らかに嫌である。

仕事に関して言えば、残業代を貰うよりも早く帰りたい気持ちの方が強い。毎日明らかに70点の仕事を目指して作業をこなしている。また、仕事の時間以外に仕事のことを考えることはほとんどない。ストレスがなければそれ以上のことは求めてもいない。

これらを考えると私の結論はこうだ。

能動的に自分の時間を使ってやることに対してはやる気が出る。やる気があるから自分の時間を使うし、自分の時間を使うからやる気が出るとも言える。これは恐らくどちらも正である。卵が先でもあるし、鶏が先でもある。どちらの要素も大きく効いてくる。

この仮定が正しいとすれば、サラリーマンはやる気がなくてもう当然だ。勤務時間の拘束の時点で既に能動的ではないし、仕事を振られると常識的に断ることが出来ないものは沢山ある。やる気があるのか的な質問に対しては、社会人としてどう考えてもyesとしか言わざるを得ない。

サラリーマンは何から何まで能動的ではないのだ。やる気を削ぐ要因で満たされているのだ。これに本気でやる気を見出せるのは、私は逆に理解しかねる。

世代が上の人はある程度は思い通りに仕事を進められるから、比較的にやる気があるのかも知れない。個人的には40代の後半より上あたりの年代。我々世代との意識の隔離に関してはこの辺に答えがあるのかもしれない。

では比較的若目の世代はどうするか?

起業とかはあまりにも気軽ではないので置いておいて、現実どうするか。

現実的な対応としては、経済的な依存を会社からなるべく下げることを目指すべきだと思う。能動性を下げている、”働かざるを得ない感”は経済的な依存が小さくない要因である。

本当にただの一例ではあるが、とにかく節約して給料を貯める、それで株を買って配当をとる。年に株価の約4%の配当は(少々高めだが)それほど実現困難というほどではない。

これは、収入が増えるとそれがさらに収入を呼んでいくような性質があるので、時間をかければ加速度的に資産が大きくなる。例え普通の会社員の給料だったとしても、実は周囲はもう笑えないようなレベルに達することができる。

副業も良いかも知れない。とにかく増えた収入を投資に回す。お金がお金を集める状況こそが恐らく1番理想的だ。お金に自分の代わりに働いてもらえば、自分の時間をかける必要がない。

話が脱線してしまったが、少なくとも大きな金額を持ったあとは、多少なりとも自由な心持ちで会社勤めすることができるのではないかと思う。もしくは本当にやりたい仕事という観点で持って仕事を選ぶことができるのではないか。

また、そのような状態を作り出すために働いているのだ、と自分の中で仕事の意義を定義することもできなくはない。

「会社のために働いている」わけではないのだ。あくまで「自分のために意義があるから、そこで働くことを選択しているのだ」と考える。何らかの割り切りで持って仕事に取り組み、自分を納得させることも考えなくてはならない。

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