時間は有限
私は会社員であり、普通の給料をもらい、仕事で多少のストレスを受けつつ、余暇の時間に集まって趣味のテニスをやったり飲んだりしている。また、友人や恋人と過ごしている(時期もあったがみんな結婚しちゃった)
このような生活スタイルが何年も続いており、出会う人の顔ぶれはあまり変わらない。今の生活に不満はないし、それは周りも同様なのだろうと思う。
付き合いがある人は同じようにどこかに勤めている人がほとんどであり、似たような属性の人達の輪の中にいる。だから、現在の生活は普通のものとして納得して受け入れている(もちろん大変恵まれているとも思っている)
この場所に永住するであろう方々が何名もいるので、望めばまだ何年もこの生活を続けることができるかもしれない。
このように至って平穏な生活を送っている中でふと考える時があった。私が30手前の頃だろうか、「自分の体が最も動く時期に、このままで良いのか」と。
数十年後に人生が終盤に差し掛かって過去を振り返った時、現在のことを何度も何度も思い返すことになることは想像に難くない。仲間たちとテニスをしたり飲んだりして過ごした日々は思い出として、心の奥底に刻まれている。
だが、同時にこうも考えるだろう。
「自分が本当にやりたかったことは何なのか、もっとそれに向き合うべきだった」と。
その時は自分が本当にやりたいことは何なのか、考えてもよくわからなかった。自分らしく生き、後悔しない生き方が何なのか、答えらしきものすら出てこなかった。
そしてこうも考えた。「これは答えがない問題であって、未来の自分がどう思うか今わかる術はない。だが一つ確かなことは、昨日と同じことを今日もやるという生活をただ繰り返すだけの日々は、後になって後悔する可能性がある。」
だから仮説を立てた。「考えても結局答えが分からないことに対し、考える一辺倒ではなく、まずは自分が達成したいと思える目標を設定し、その実現に対して時間を使えば後から納得できるはずだ」
この考えに至り、決別を決断する時が来たと確信してしまった。私の年齢は何かを成すにあたり大きな猶予は残されていない。
私の目標に関しては後半述べるとして、そもそも我々はなぜ、ただひたすらに日常を送ってしまうのか。それは恐らく、自らの健康が時間の有限さを不可視にしてしまっているからだ。
時間が有限なのは誰しも分かっているが、当たり前すぎて意識することすら忘れてしまっている。
生きている限り、すべての人に死が訪れる。にも関わらず、命の期限を知った時なぜ人は後悔するのだろうか?
死ぬ瞬間の5つの後悔 ブロニー・ウェア
これはこの前読んだ本の一節だ。何となく人生を過ごしていて、仮に自分の余命がわかった時、それからも同じように過ごすだろうか。
誰しもその時になれば、残された時間で何をしたいのか嫌でも本気で考える。そうして今への後悔が訪れ始める。その時いくら悔やんでももう取り返しがつかない、ゲームはもう終わっている。
だから、どんなに忙しくてもひたすら時間が流れるままにしてはならず、一旦立ち止まる必要がある。忙しすぎてその時間がないと言っている人は、それが何を意味しているのか考える必要がある。
機械のように決まりきった行動を深く考えもせずに繰り返すべきではない。
繰り返すが時間は有限だ。だから、いつまでにという期限が必須だ。何かの目標を実現するために、今日は何をすべきか具体的な行動指標が要る。これは、どう過ごせば良いのかわからない時間を持て余すべきではないということだ。分からないから結局いつもと同じことの繰り返しになる。
また、やりたいことを先延ばしにするのもよくない。
学生の頃はお金がなくて、やりたいことは社会人になったらやろうと思った。社会人になったらお金はあったけど時間がなくって定年後にやろうと思った。そして今は時間はあるけど身体が動かない。君は全部今やれ。
某掲示板の書き込み
これはフィクションなのかもしれないが、時間が有限なことへの意識が薄いばかりに起きがちな悲劇でもある。健康でいられる時間もまた有限ということだ。
ここらへんで私の現在の目標に関しても述べたいと思う。私の現在の人生の目標は「40歳までにアーリーリタイア」することである。
残り約10年
私は仕事がそれほど嫌いではないし、人間関係も悪くない。朝起きて特別気分が乗らないことも、新人の時を最後にして今ではもうない。だが、毎日決まった時間に会社にいること自体、自分の人生を生きているとは思わないようにしている。
選択肢の多い自由な人生を送る、自分の人生を自らコントロールする、というのは学生の時には既に考えていた生き方でもある。だからその実現のために行動する時間をできるだけ設けるようにしている。
アーリーリタイアに一番必要なのは、多分経済力だろう。お金に関しては色々な人があらゆるところで提唱しているためここでその話はしないが、現代は会社からの給料だけが収入の全てではないので、必要な分を得られるようフレキシブルに考えるべきだ。
そしてやや矛盾するが、仕事を一切やめるということだけを考えてはいない。興味がある仕事、又は得意な仕事だけやる、週に2日だけやる、1年の内何ヶ月かだけ働く、など自分の生き方の中で、仕事のスタイルを再定義できれば十分だと考えている。
時間と経済的な豊かさのどちらにどれだけの重きをおくか、そのバランスを再設定する時期を作る、と考えても良い。
それは能動的に今後の人生を設定するものだから、その選択肢が得られる生き方をすることは、自分にとって意味があるものだ。
具体的な目標があれば、どのような条件が必要で、その条件を満たすためには今日何をしなければならないのかブレークダウンができる。時間の使い方にもう迷うことはない。
過ぎていく時間を、できる限り納得感があり、自らにとって意味があるものにしたいと願っている。