設定に縛られる

もうかなり前の話になる、私がそこそこ若かりし時。入社3年目くらいであろうか。その日、取引先に朝9時に訪問をする約束をしていた。うちの製品を買うことに対してかなり前向きに検討いただいていた案件だった。

その取引先までは自宅から約1時間。そしてその日の朝、

目覚めたのが朝の9時。頭が真っ白になる瞬間である。

とにかく先方に電話をかけなければならない。すでに遅れているといっても過言ではない。

これはかなりまずい事態である。社会人生活の中でも最も頭がフル回転した瞬間だ。

寝坊は会社に対しては体調不良でどうにかなる。昼まで寝坊していない限りはどうにか押し切れる。上司も何となく事情を察するし、それ以上はもう追求されない。

でも相手は「結構な金を動かす権限のある」おじさんお客さんだ。厳しい人で、遅刻は信頼問題的にかなりまずい。これまで努力して気づきあげた関係性を、私の寝坊一つで崩してしまうと大ごとだ。部の売り上げ的にも結構大きい痛手になってしまう。

昨日は11時には飲みを引き上げたのに(いつもは2時)

後悔してももう遅い。そういう時に寝坊はやってしまいがち。いつもとは違う時間に起きることが寝坊を誘発させているのかもしれない。思ってみれば大学時代のバイト初日にも寝坊した。

就活の最終面接にも寝坊した。

それはさておき、とにかく電話をしなければならないと思い出した。

体調不良くらいではダメだ。9時の約束で9時にその連絡をしてはいけない。渋滞もダメだ、そのスケールの遅刻ではすまないし多分すぐにバレる。

正直に謝るか?もちろんそれも考えた。ただし、それがどう転ぶか正直読めない場面であった。会社の売上を考えると、正直には言わない方がよいという結論に自分の中で達した。

ではどうしたか?この時に使った言い訳は、これは本当に奥の手である。本当の本当に奥の手である。頭の中にすでに用意はしていたが、まさか本当に使う時がくるとは夢にも思わなかった。

だがもう、もはや迷っている時間はなかった。状況を全て考えると辻褄が合う言い訳はこの1つしか考えられなかった。

人からの信頼は、話の整合性の問題ではなく感情の問題が大きい。だから、嘘っぽい理由ではいけない。嘘っぽい、ありがちな理由ではダメだ、遅刻ギリギリに連絡をするのであれば、緊急性も伴わなければならない。

そういったことを全て加味して考えた結果

「子供が保育園で怪我をしたため遅れる」

ちなみに「妻は現在他県に出張中だから、すぐに病院に連れていかなければならない」とさらなる言い訳も用意していた。これは使う必要なく済んだ。

御察しの良い方はわかるだろうが、私は独身だし子供もいない。でも相手はそのことを知らない。

だったらもう、やるしかないだろう。

相手を心配させるし、今後も家庭がある設定にしなければならない。本当に寝坊一つで負のスパイラルだ。

その次からは、子供の話をされた場合でもなんとか合わせなければならない。非常に余計な気苦労が増えた。

だから、後輩に引き継ぎをして緩やかにそのお客さんから撤退して乗り切った。自分で蒔いた種だが心労が大きくてもう行きたくなかった。

ついてはいけない類の嘘だと考えなくてもわかることだが、他に手段がなかった。今の年齢と今の立場があれば正直に話せたかもしれない。だが、あの時は新人に毛が生えた程度の存在だった。信頼は簡単に失墜するし、その理由でお客さんを失えば社内で立場がなくなることは容易に想像がついた。

だから、やらなければならなかった。

世の中本当にバレてはならない類の嘘もあるが、あの嘘はそれに近い嘘だ。寝坊一つでここまで苦しむこともある、特に若い人はぜひ気をつけていただきたい。ちなみにこの言い訳を頭の中にストックしておいて、最後の手段として使ってもらっても構わない。

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